第6回目

 今回は、当クリニック設立時から関わって下さっている小久保さんの寄稿です。小久保さんはご本人も下記に記述されているように、本当に決断力と行動力がありそして先見の明がある方です。女性のアルコール依存症の方は現在でも育児、家事、介護者の役割を強く求められ、治療に専念したり、治療の場に来ることが難しいことがあります。そして、アルコール依存症の親を持つ子ども達についても、社会が関心を持つとは言えない状況が続いています。それを1990年代から関心を持って支援、研究を続けられていることは、本当に凄いことだと思います。

      今更ながら・・。

                         精神保健福祉士 小久保裕美

 西山先生との出会い・・・。私の記憶では、先生の勤務先に押しかけて行ったときである。名古屋市内の精神科(K病院)でPSWとして働いていたときだ。私は、その病院で保健所のK相談員に勧められ、アルコール依存症グループを立ち上げ、実践をしていた。しかし、何もかもうまくいかず、悩んでいたときだ。西山先生が、北海道でアルコール依存症の治療をされていたと、風の便りに聞いた。それは、会いにいくしかないと思い、同僚のPSWと出向いたのだ。行動化の冴えたるものであった。

 その後、西山先生が、研修の一環としてK病院に赴任された。K病院の医師たちはアルコール依存症の治療には消極的であり、アルコール依存症が回復する病とは思っていなかった。先生が赴任された時は、本当に神様、仏様、西山先生!と思ったものだ。保健所の相談員(後に精神保健福祉相談員となる)共々元気百倍になった。私は、PSWの相談援助とグループワークに専念することが出来たから。その後、何故か先生はK病院のPSW室の一員のようになっていた。出勤はPSW室。院長から医局への誘いがあったが、出勤はPSW室のままであった。当時4人のPSWがいた。区内の保健所相談員が日常的に来所しており、「マンガ版アルコール依存症からの回復」は私たちPSWと保健所相談員、先生との談話会の場で誕生した。漫画が得意なI看護師も参加した。

 1990年代に入って、K病院では女性のアルコール依存症者の受診がみられるようになった。なかには幼い子どもを抱えた母親たちがいた。飲酒しているときの子どもへの関りは、ネグレクト、心理的虐待、身体的虐待といえる状況にあった。そのようなときにCAPNA(子どもの虐待防止ネットワークあいち)が設立された。直前に西山先生と設立準備をしていたA弁護士事務所に出向き、児童虐待防止活動に参加する(参加してみる)ことにした。

 CAPNAでは、かねてから関心をもっていた、子どもを虐待すると悩む母親たちのグループワークを1995年に立ちあげることが出来た。以後、CAPNAでのグループは月1回の開催であった。その後、20年間継続することが出来た。

 一方で、精神保健福祉士の成立に関わりをもっていた私は、精神保健福祉士の養成に携わりたいと考え、臨床の場から大学へ転身した。そこは、右も左もわからない世界であった。何を研究するかが求められるところだった。私は、今まで関わっていたグループワーク援助をメインに、「子育てに悩む母親たちのグループケア」を研究テーマにした。キィワードは、「母親、母性観、ジェンダー、グループワーク、語り(ナラティブ)」である。

 そこで、またもやクリニックを開業されていた西山先生にお願いに出向いたのだ。クリニックでグループをさせていただきたいと・・・。CAPNAでもグループワークは実践していたが、一か所の実践だけでは、実証は弱いと感じたからだ。

 2002年4月、西山クリニックで「おかあさんのグループ」を開始させていただいた。当時は土曜日、月3回であった。投稿した論文に以下のような記した。

 グループが行われる場所は、クリニックの集団療法室である。集団療法室は待合室と診察室の間にあり、パーティションで仕切られている。壁は薄く、時には診察を待っている人同士の話し声が聞こえる。そこには椅子が丸く円描くように並べられており、中央にテーブルがある。一角に白版が置かれていた。かすかに聞こえる待合室の声は、安心感を運んでくれた。

 グループ担当として2人(臨床心理士、看護師)のスタッが配置され、3人体制でグループを行った。不安の多々あるなかで心強いスタートであった。

 このグループは23年間継続している。私が大学で保育士養成に携わっていたことから、学生の学びの場として一時期、学生による保育を併設させていただくことがあった。この場は、学生にとって貴重な場であったと思う。育児不安を抱え、精神科に通院している母親たちが、保育現場で出会う多くの母親と変わりないと感じることが出来たからだ。この体験は彼女たちの宝となると思う。

 こうやって長い年月を振り返ってみると、西山先生には、多々助けられてきたと思う。いっぱい感謝をしている。

 今は主な社会的な仕事からは離れたが、クリニックでのグループ支援、CAPNAでのシェルター支援、福祉施設・保育所へのオンブズマン活動などは継続している。今まで培ってきたこと、体験したことを礎にしていきたいと願う。今更ながら・・・。