第1回目

初回は、長く西山クリニックのミーティングで司会をお願いしている野村重兵衛さんよりの寄稿文です。

≪第1回目≫ 野村 重兵衛さん

1 「西山クリニックと私」

アルコールを使用しない時間を与えられて間もなく(37歳の頃)仲間から話をいただいてもう一人の仲間と共に隔月で西山クリニックミーティングの司会(ミーティング進行のお手伝い)をやらせていただくことになりました。都合がつけば毎月参加させていただいておりました。

私自身は西山クリニックを受診した経験もなく全く訳も分からず部外者のようなアウェイ感のなかでの不安に満ちたスタートでした。毎回大変緊張して司会を努めておりました。

西山先生とは三河にいらっしゃる頃(昭和の終わり頃)からのスポンシーや仲間と共に大変お世話になっておりましたので、少しでも恩返しのまね事ができればという気持ちもありました。そんなことでまだまだ経験も浅く不安に満ちた司会者でしたからピントがボケた、的外れな話をしていたことと思います。(それは今でもさほど変わらないことではありますが・・・・)

ある時期、もう一人の仲間が司会を卒業し、別の二人の仲間と3か月に一度の司会という形でさせていただきました。二人の仲間も順に卒業して、今は毎月司会をさせていただいております。私自身も当初のゲスト司会者という感じは徐々に薄れて今は月一とはいえレギュラーメンバーのようなつもりで参加させていただいております。

年月と共にクリニックのスタッフの方々も質・量ともに充実され、デイケアの雰囲気もミーティングの内容もどんどん深く重くなっていることを肌で感じ、「時にすごい!」と感動させられております。そんな中、私自身もスタッフの方やデイケアのメンバーさん達の成長に引っ張られるように影響を受けて少しずつ成長させていただけたと感じております。ここのミーティングで自分の飲まない生き方が育てられ、今の自助グループ活動を支える大きな部分を与えられたのだと思っております。そんな西山クリニックへのメッセージも約30年になりました。

2 「私とアルコール、そして自助グループ。ミーティングはタイムマシーン。」

 18歳で本格的に飲み始めてそれほど時間がたたないうちに自分の酒が他の人とは違うと気付いていました。しかし「自分の飲んでいる酒」と「他人が飲む酒」の意味が違うということまでは気付けませんでした。

勿論酒自体の中身や成分や価格は同一なのですが、例えば蕎麦アレルギーの人とそうでない人の蕎麦では全く意味の違うことで、他人には百薬の長であったとしても自分にとっては毒でしかないとは考えてみたこともなかったのです。

 酒を止めるのもほかの人と同じ要領で止められるものと思っていました。しかも自分はとても酒に強いので止める際にも強い気持ちで止められるはずだと思っていました。しかし、しばらく飲むのを休まないと大変なことになると分かっていましたが、一日、また一日と止めるのを先送りにしていました。今思えば随分と軽い気持ちでお気楽に飲んでいました。時には何故飲まなくてはならないのか、何故止めることができないのかと泣きながら飲むこともありました。

 28歳頃自分ではよくわからないながらもどうにもならなくなって初めて精神病院に入れられた時は「何で自分が精神病院に入らなければならないのか」、「自分よりもっと精神病院に入らなければならない人が沢山いるではないか」と思いながらも、ある意味ホッとしました。「ここまで落ちてこれだけ周囲に迷惑をかければ、いくらなんでも、これ以上は飲めないし当然止められるものだ」と思いました。「これで退院後に飲んでしまうようであれば自分は人として生きる資格はない。当然止めなければならないし、止められるはずだ。もう飲まなくて済む。」と思いました。

 案の定、入院した途端にあれほど強かった飲酒欲求も嘘のようになくなりました。飲まないでやれる自信はどんどん強いものになっていきました。でも、「退院が近くなり、外泊が許される度に飲んでいました。なんの疑問ももたずに・・・」です。今思えば外泊の度に飲む酒が退院と同時に止められる訳がないのです。

 退院して好きな酒をキッパリ止め、バリバリ働くためにはキッチリ一線を引いて「今までの自分を支えてくれた酒とはっきり別れる」ことが必要だと思いました。そのためには最後の酒を自分自身が納得いく形で飲まなければと考えました。しかしその最後の酒は最初の酒にしかなりませんでした。そして、何度か最後の酒にしようと酒屋に行き、1本だけ買ってきたことがありました。最後の酒になるはずの酒を一日に何度も買いに走ることになりました。一度に沢山買えばもっと安くもっと楽だったのに。

 3度目の再入院で自分の人生が終わったと思っていました。酒を止められるあてもなく、まして酒を手放そうとも思えない、まさに孤立無援で四面楚歌状態でした。そんな時生まれてはじめて飲まないアルコール依存症者との出会いが与えられました。自助グループの病院メッセージでした。アルコール依存症者が飲まないで生き生きと生きていることに兎に角ビックリしました。

 駄目で元々だと自助グループに来て飲まない時間を与えられた後に私たちはもはや最後の酒を飲むことができなくなっているのだと気付きました。

 とても不思議なことですが、自分が自助グループと巡り合ったのは昭和62年のことで、35年以上の以前のこと、その時の感覚や感情や情景がまるで昨日のことのように覚えていられるということです。

 人には忘れてゆくというとても大切な能力が備わっています。出会いや別れ、悲しいことや恥ずかしいことなど全部覚えていたらとても生きてはいけません。でも忘れてはならないことも沢山あって、飲まないで生きるために忘れてはならないことがあるはずです。自助グループにいなかったらきっと忘れてしまっていたでしょう。自助グループのミーティングの中には仲間を通して、自分の過去も現在も未来も詰まっています。自分の過去の姿を仲間が繰り返し見せてくれます。今の自分はどうなのか、これを続けていけばどうなれるのか、続けなければどうなってしまうのかも仲間が見せてくれるのです。

ミーティングはタイムマシーンです。飲まないで生きるために大事なことでも忘れていたことが沢山ありましたが、仲間というスコップが掘り出してくれました。そして自分自身も仲間の過去であり、今であり、未来なのです、役に立たない仲間はいません。どんなに凄い人格者でもどんなに偉い人でもとても意志の強い人でもお金持ちでも豊富な知識を持つ人でも一人ではこんなことはできません。

 自助グループに出会った頃、先行く仲間が「全ての答えはミーティング場にある」と言っていました。「ミーティング場にはお金が落ちている」とも、何をオーバーなことを・・・・・・と思っていましたが今は本当にその通りだと思っています。

近年は摂食・ギャンブル・ネット及びゲーム・窃盗・性・仕事依存等様々な仲間たちが回復しています。複数の依存を持つ仲間も珍しくはないのですが、生き方の部分を変えてゆかなくてはならないことには変わりはありません。そのような共通のものを分かち合って共に回復していけると確信しております。